【コラム】父に感謝し、医師としての熱意を皆さんに届ける回

最終更新日:2022年10月01日

皆さんこんにちは。コラムの更新は久しぶりです。ここ数年色々ありましたよね、私の中でもいろんな価値観がどんどん変わっていき、そもそもこのコラムで届けてきたメッセージが皆さんの役に立っているのか分からなくなり、何を書いたものか迷走しておりました。
 
今回は趣向を変えて私が感じてきたこと、考えてきたことをダラダラと語る回にして、まず私がどんな人間かを皆さんに改めてご紹介しようかな、と思う次第です。
 
三愛眼科の『院長』と呼ばれるようになってもう4年の月日が流れました。正直なところ、まだ馴染みません。『社長』というような職は遠い存在で何かしら尊さを感じていましたが、私が生まれた頃には父は既に『院長』で、その存在が身近過ぎる為、院長という職責の重さなど当時は考えたこともありませんでした。
 
父は産婦人科医でした。なんとか生命を繋ぎ止め正常に近い形に身体機能を戻そう、というのが医師の絶対使命ですが、産婦人科医はそれに加えて『新しい生命を待ち侘びるご家族にお届けする』という重い使命を背負っています。
 
樫本家は私で四代目となる医師家系で、将来は私も医師になるんだろうと物心つく頃には意識していたものですが、陣痛が始まった、となれば深夜だろうとゴルフ中だろうと、生死を賭けた戦場に駆けつける父が余りに大変そうで、中学生の一時期、私は医師以外の人生を選ぼうとしていました。ある日そんな私の雰囲気を察した父は、自身が指揮を取る生命誕生の戦場に立ち会わせました。(今ならコンプライアンス的にダメでしょうね)
 
ご存知の通りお産は時間がかかります。どれくらいの時間が過ぎたのか記憶にありません。ようやく産声が分娩室に響いたその瞬間、現場の空気が柔らかく軽くなったのを感じ、その時父が見せたなんとも言えない笑顔が、可愛い赤ちゃんと同時に白衣を着る私の決心を誕生させました。
 
その数年後、医学部を志して大学入試センター試験を受験した翌朝、阪神大震災が関西地方を襲いました。しかし大阪に住んでいた私は震災を知りません、あれだけ揺れたにも関わらず眠りこけて起きなかったのです。
 
そしてさらに数年後、医師になってからの進路に悩む私…
 
『うーむ、あの大震災で起きなかった俺だ、夜中に病院から電話がかかってきても多分起きれんな…』
産婦人科医になって欲しかった父に心の中で
『ごめん…』
と呟き、しかし産婦人科医のように患者様に幸福感をプレゼントできる科に進みたいな、と白内障手術のある眼科を選びました。
 
眼科医になると話した日、父が語ったことを今でも大事にしています。
 
『常に誠実であること』
『絶対にごまかしたり、嘘をついたりするな』
『医療というものは不幸な結果はつきものだが』
『大変な思いをしている患者様を決して見離さないこと』
 
わざわざ改めて当たり前のことを言うものだ、と当時は聞き流していました。そこに『院長』という職責の重さがシンプルに詰め込まれていることを知ったのは、三愛眼科を先代院長から託された後です。
 
医師が『お医者さま』であったのは遠い過去の話。白衣に袖を通す時には、さながら打席に立てば必ずホームランを打つことを義務付けられたプロ野球選手のように精神を研ぎ澄まさねばなりません。
 
眼球は直径2cm程度の大きさしかありませんが、その周辺組織も含めて複数の専門分野に分かれ、それぞれ多種多様な病気があり治療も複雑です。しかも眼科は病気だからといって眼球を取り去ってしまってはならず、なるべく眼球組織を温存すべく手術には繊細な技術が必要で、習熟にはかなりの鍛錬が必要です。
 
ですので、全ての専門分野において高いレベルの治療を行える眼科医というのは稀で、一人で完璧に眼科医療をこなすことは不可能です。たとえその技術が全て備わった眼科医がいたとしても、支えてくれるチームメイトがいなければ良い医療はできません。
 
チームを育て、キチンと点を取り、逆に得点を許さず、様々な不安を抱えて来院される皆さんを勝利に導がなければならない…院長は、采配を振るう監督で4番バッターで絶対的エースでないといけないのです。
 
父が示唆したいくつかの言葉の重さはそこに由来していて、新しい生命が誕生した刹那に見せたあの笑顔には、今まで父が中心となって作り上げたチームが勝ち取った、一つの結果に対する奥行きのある複雑な思いが含まれていたんだな、と今になると理解できます。父は逃げずに立ち向かってきたんだな、この感動をもう一度チームと患者様と共有したくて厳しい挑戦を続けたんだな、と尊敬します。弱い相手とだけ試合をするチームなんて魅力ないですから。
 
三愛眼科は2021年に仲嶺盛(サカリ)先生を副院長にお迎えして、素晴らしい眼科に一歩近づきました。
 
仲嶺先生は白内障、網膜硝子体疾患の治療に加えて、まぶたの治療が得意です。(私はまぶたの治療が苦手です。)
 
仲嶺先生はとても優しく、責任感も強く、父が語った医師としてあるべき姿を私に見せてくれています。同じ思いで医療と向き合ってくれる仲間がいるのはとても幸せなことです。
 
『三愛眼科に行けばなんとかなる』
 
と皆さんに思ってもらえるような眼科をずっと目指し続けている私にとって、苦手な分野を補ってくれる仲嶺先生は最高のパートナーで、負けられないライバルです。
 
『100年見える溌剌とした人生を!』
 
三愛眼科が掲げる理念です…病院というのは病気を治療するところですが、まだ治しきれない病気があったり、年齢には逆らえない、と諦めていただくより他ないことも多々あります。ただ辛い症状と情けない気持ちで付き合う人生なんて楽しくないですよね。生きてる以上、眠って目覚めれば皆さん同じ朝を迎えます。どうせなら明るい気持ちで目覚めたいじゃないですか。
 
三愛眼科に行くだけで安心する、楽しい、そんなふうに皆さんが感じることができるクリニックになるよう私はこれからも努力を惜しみませんので、皆さんも是非、人生100年を明るく楽しく生き抜く為の努力を惜しまないようにして下さい。
 
(うん、こんな感じですかね。長いけど、書きたいことが書けた気がする。)
 
三愛眼科院長
樫本大作
 

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